昭和22年7月30日、東京都世田谷区に生まれる。立教大学経済学部卒業。
大学2年生の時に漫画研究会を設立。設立当時のメンバーには細野晴臣も名
を連ねていた。
 大学3年生の時に機関誌『ガンマーフィールド』ストーリー漫画特集号を発行、
「罪と罰」18ページを発表。立入晴子が描く会員紹介「漫研一座」にはサーカス
忍者・西岸良平として登場。なお、「鍋島のネコ姫・木村泰子」は、当時日本デザ
インスクール在学中で、立教大学漫画研究会にも所属していた。
  大学卒業後、「猪まんがスタジオ」のメンバーとなり、昭和45年から46年にか
けて、『別冊少女フレンド』増刊号等に4コマまんがやイラストを描く。
 昭和47年「夢野平四郎の青春」で第8回ビッグコミック賞の佳作第1席に入選
『ビッグコミック』9月15日増刊号に掲載されてデビュー。
 昭和48年『ビッグコミックオリジナル号』に「プロフェッショナル列伝」を連載。
 『 ビッグコミックオリジナル』昭和49年9月20日号から「三丁目の夕日」を連載
好評を博す。また『漫画アクション』に「ロマン劇場」を連載する。
 昭和57年、「三丁目の夕日」により第27回小学館漫画賞を受賞。
 昭和59年『漫画アクション』2月9日号から新シリーズとして「鎌倉ものがたり」
の連載を開始、平成12年『月刊まんがタウン』に連載の場を変え、平成27年3
月現在まで連載が続いている。
 平成20年6月から7月にかけて、「鎌倉ものがたり」誕生25周年記念を祝う
スタンプラリーや展覧会等が行われた。
 平成21年、「鎌倉ものがたり」により第38回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 平成22年の春の褒賞で紫綬褒章を受章。
 「三丁目の夕日」は、平成20年1月20日号で連載800回を記録、平成24年
6月20日号で連載900回を記録した。「年齢からくる体力の衰えのため」25年
5月から月に一度の連載となったが、平成27年3月現在も連載中である。
 平成25年、「鎌倉ものがたり」が連載30周年の偉業を達成。「鎌倉ものがたり
30周年フェア」が開催された。
参考資料『学園闘争の中で育った漫画』、作品掲載雑誌等


『COM』との関係
 『COM』出身の作家の一人に、西岸良平氏を加えていた雑誌があった。
 『COM』は愛読してきたし、諸星大二郎やコンタロウなど多くの作家のデビュー誌として
も注目してきた。しかし、西岸良平氏については、心当たりがなかった。古い『COM』をもう
一度探してみたが、やはり見つからない。
 探していく中で、一つの疑問が生まれた。雑賀陽平の存在である。「さいがんりょうへい」
と「さいがようへい」。似ていることは似ている。しかし絵はまったく違う・・・。
 雑賀陽平は「我らの時代」で入選し、その後も単純な線と毒のある笑いを含んだ作品を
発表していた。西岸良平氏のほのぼのとした絵とはまるで違う。だが、西岸良平氏もデビュ
ー当時は堅い絵を描いていたはずだ。「鬼女の影法師」などに出てくる、おどろおどろした
犬の絵などは雑賀陽平を思わせないこともない・・・。
 『コミック・アゲイン』昭和54年5月号(みのり書房)の「COM特集 PART2」では、はっきり
と西岸良平(われらの時代/S46年10月)となっており、『COM』でデビューとしていた。
 雑賀陽平イコール西岸良平なのか?この疑問はまもなく解決することになった。
『漫金超』の創刊号(1980年4月10日発行、チャンネルゼロ)に雑賀陽平が登場したの
である。その作品は、昔の名残を残すものであった。この時点で西岸良平氏と雑賀陽平は
別人であることがはっきりしたのである。
(雑賀陽平氏は平成17年、JR福知山線の脱線事故で逝去。ご冥福をお祈りいたします。)
 やはり、西岸良平氏のデビュ−は、ビッグコミックの「夢野平四郎の青春」ということになる
のだろうか。(2001.7.28)


立教大学 漫画研究会
コマまんが「母性愛あふれる女」

昭和43年10月20日発行『週間アサヒ芸能』に収録

 「第一回 東京六大学秋季マンガ・リーグ戦」に収録。
参加は、早稲田大学、慶応大学、法政大学、東京大学、立教大学、明治大学の六大学
漫画研究会、漫画クラブです。
 全体で8ページ、全員が一コマ漫画で、公害・戦争等を扱っています。立教大学からは
西岸良平、飯塚コウ咲の2名が参加し、課題は「色あせた恋」となっており、他大学とは
一線を画した内容となっています。
西岸良平は三年生。飯塚も史学三年となっています。
 『別冊少女フレンド』への掲載につながっていくような内容です。
 漫画研究会では会報も出していたのでしょうから、一度見てみたいですね。(2005.9.25)
※立教大学漫画研究会時代の作品については「初期の作品」に記述


まぼろしのデビュー作!?
4コマまんが「ネコとアコちゃん」

昭和45年4月5日発行『別冊少女フレンド』臨時増刊に収録

 ウヒョウヒョゲラゲラ・コーナーの一つです。同コーナーの構成は猪まんがスタジオで、
4作が掲載されています。掲載作品は
・西岸良平「ネコとアコちゃん」
・立入ハル子「ちいさな渡世人」
・飯塚コウ咲「春がきたのに」
・藤井やす文「S.F.P子」
脚注には、「猪まんがスタジオのスタッフ総出演のおわらいコーナー」とありますので、
西岸良平さんもメンバーだったようです。
 昭和45年4月というと、西岸良平さんは立教大学を卒業した頃でしょうか。大学時代
は漫研に属し、カットやイラストを描いていたとのことなので、そのような活動の一つなの
でしょうか。(2001.12.2)


第8回ビッグコミック賞佳作一席入選
 佳作一席<賞金15万円>

    夢野平四郎の青春・・・・・・西岸良平(24歳・東京)

 選考作家の評

 白土三平
 絵は抜群で、まったく文句のつけようがない。
 人生の黄昏も、そこはかとなく表現されているが、絵にもストーリーにも、何か『早すぎた老成』を感じさせられた。
 まだ24歳、若者特有のパンチで、自己の枠に一撃を加えてほしい。

 さいとう・たかお
 個性的な絵はいい。
 が、物語を運ぶ上の絵となると、ドラマにはいりにくい要因となってくる。
 むしろ、この絵でなければ、中年男の哀愁を、もっと描けたのではないかと思う。
 このドラマでは、個性的な絵が、かえって、じゃましたのではないでしょうか。

 水木しげる
 ひとりひとりの人生を背負った顔、表情の豊かさには、感心しました。
 絵と会話の流れのハーモニーも、心得ている人です。
 ただ、最後の所で、もうすこし何かがほしかった。
 意表をつく終わり方だったら、いっそう作品に厚みがでたのですが。

 横山光輝
 絵もストーリーも、おもしろく、味もある。
 だが、そのおもしろさが、なんとなくおもしろいという程度なのが弱い。もっと迫力のあるペーソスが、だせないものだろうか。

 手塚治虫
 絵だけ見ていると、プロの第一線でも通用しそうだ。
 読者は、この種の絵に飢えているのではないでしょうか。
 ただ、ストーリーが、もう一歩だ。
 永島、滝田調の語り口だが、読みごたえに欠ける。
 話のひき出しの狭さを克服できたら本物になるだろう。

 藤子不二雄
 引退した(参加していない)悲しさが、よく出ている。
 いやみなくユーモラスに”たそがれ”を描く力量は高く評価したい。
 反面、いささか情緒的におぼれすぎた感はある。
 ラストは、無理にも社会に参加していくという力強さを出せば、もっとペーソスがでたと思う。

 楳図かずお
 種々の色調をほどよく組みあわせた方が、はるかに効果的です。
 あまりに終末感が前面に押し出されすぎて、”心にそこはかと漂う”というふうには、いかなかったようです。
 絵は、ややグロテスクですね。

 石森章太郎
 似たような絵の多い中で、このクセのある個性をかう。
 まんが家を主人公にしたのには疑問を感ずる。
 平凡な定年退職に視点をあてた方が、説得力があったのでは・・・・。

(『ビッグコミック』昭和47年8月10日号)


第27回小学館漫画賞受賞
受賞者
第一部(児童向け)・・・・・・・・・藤子不二雄氏
・第二部(少年少女向け)・・・・・鳥山 明氏
・第三部(青年一般向け)・・・・・西岸良平氏
・ 〃  ( 〃 )特別賞・・・・・・小池一夫氏

・西岸良平氏は昭和22年東京都生まれ。昭和47年『夢野平四郎の青春』(ビッグコミック賞入選作)でデビュー後、『プロフェッショナル列伝』を経て昭和48年から『三丁目の夕日』を連載し、現在に至っています。
 一貫して人の心のやさしさを描く詩情豊かな西岸氏の作品は、幅広い年代層に支持をうけ、本誌を代表する作品の一つとなっています。
   【顔写真掲載】
 「『三丁目の夕日』は、私自身の昭和30年代への思い出をこめて描いてますが、地味な作品だけにとても賞の対象にはなるまいと思っていただけに、受賞の知らせをうけた時は、うれしいと同時に辛抱強くやってきてよかったと、心の底から思いました。今後も、あせらずじっくりとがんばっていきます。」
(『ビッグコミックオリジナル』昭和57年3月5日号)